<セクシュアル・マイノリティ>



  現代の社会では「異性愛」と「男女二分主義」が当たり前のことだと考えられているかもしれません。 しかし実際は、その中で違和感と共に、息苦しさ、生きづらさを感じている人々が少なからずいるのです。 性的な事柄を理由に差別を受け、少数者の立場に置かれているそのような人たちのことを、私たちはセクシュアル・マイノリティ(性的少数者)と呼んでいます。

性的指向が異性にではなく同性に向いている人々。(ゲイ、レズビアンなどの同性愛者)
性的指向が異性にも同性にも向いている人々。   (バイセクシュアルなどの両性愛者)
性的指向が異性にも同性にも向いていない人々。 (asexual ; エイセクシュアル)
生まれついて持っている体の性と性自認が異なる人々。(トランスセクシュアル、トランスジェンダーなど)
間性、半陰陽など、体の性が男女どちらの性でもない人々。(インターセックスなど)

  その他、さまざまな性(セクシュアリティ)を持つ人々がこの世には生きているのです。 また特別に名称を持っているわけではないものの、自分の性のあり方に違和感をおぼえている人々や、性のゆるぎの中で不安を感じている人々もいます。 「異性愛」と「男女二分主義」が当たり前のことだと考えられているために、さまざまな性のあり方が、時には自らにおいてすらなかなか認められないということがあるのです。
  そのような、多数者(マジョリティ)とは異なる性を持っている人々を、私たちはセクシュアル・マイノリティと呼ぶようになりました。

  セクシュアル・マイノリティという言葉には限界も問題もあります。個別の問題がぼやかされて一緒くたにされるということも起こりますし、時には具体的な問題を抽象的な問題にすり替える危険性もはらんでいます。 そのために「セクシュアル・マイノリティ」という用語を使わない当事者たちもいます。 しかし私たちは、キリストの風集会を通して、あえてセクシュアル・マイノリティという言葉を用いるようになりました。 それは「同性愛、両性愛、トランスセクシュアル、インターセックス・・・」とさまざまなセクシュアリティを並べあげてみても、必ずそこから抜け落ちてしまうセクシュアリティを持っている人がいることに気づかされたためです。 性的マジョリティ(多数者)に対し、抑圧されているマイノリティがいるのだということを明らかにするため、また、名称を持っていない性的少数者がいるのだということを覚えるため、私たちはこの用語を用いています。

 「セクシュアル・マイノリティは見て分るものではありません。 しかしあなたのそばにも生きて存在しているのです」


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